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某メーカ勤務の怪しい会社員。
40代に突入しても不惑の域に達しない。

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2006/04/25
経営組織論

組織とは何じゃい!
の近代的な考えの本質を突く。

昔バーナードというおっちゃんがいた。
彼が考えたのは、組織と個人との関係。
個人は組織に対して貢献をする。
組織は個人に対して誘因を引き起こす。
人はメリット(誘因)があるから組織に属する訳だ。
貢献<誘因の状態だったら、人は組織に参加する。
貢献>誘因の状態だったら、人は組織に参加しない。

つまり、経営者が行わなければならないのは、貢献<誘因の状態を作り出すこと。
それだけ。って感じ。

組織を維持し続けるには、常に個人に対して誘因要素を作り出さなければならない。
それは報酬かも知れないし、社会的地位かも知れない。
いろいろあるが、経営者、管理者視点で考えると、そういうこと。
理由は「誘因によって、組織に貢献してもらいたいから」。

組織(経営者、管理者)からしてみたら、個人にはなるべく組織人格のみを欲したいところ。
個人には二面性がある。
まず、その人自身の「個人人格」。
そして組織に属しているときの「組織人格」。

組織としては、個人人格は必要ではない。
極論すれば、100%組織人格のみであることが理想である。
しかし現実にはあり得ない話だよね。

バーナードは官僚制度の考案者でもある。
基本的には、科学的管理法を提唱したフレデリック・W・テイラーの影響を受けている。
バーナードに関しては復習をきちんとしておこう。

あと組織における権限について。
「組織における権限とは何か?」
3つある。

1つ目は、機能から生まれるという考え方。
つまり役割に付随して権限があるということ。
つまり仕事だから権限があると。

2つ目は、私的所有の考え方。
組織(企業)は誰のモノか?
社長?否。株主のものだよね。
社長は株主から選任されることにより、経営の権限を委譲された訳だ。
社長から以下は、社長から委譲された権限を行使するに過ぎない。
つまり「コレを持っているから権限がある」ってこと。
ちなみに社長は選任されるが、部長や課長は選任されずに任命される。
前者は民主的、後者は官僚的なんだよね。

3つ目は、命令の受容が権限であるという考え方。
上司が「コレやって」と命令しても「イヤです」という反応だったら、それは権限じゃない。
「はい分かりました」と受容されたとき始めて権限となる。ってこと。

命令には、命令を受容する範囲ってのが個人個人に存在する。
「コレはイヤです」「コレならできます」など、命令の受容には幅がある。
しかし、デジタルではなくグレーゾーンが存在する。
「OKゾーン」「時と場合によってはOK(グレーゾーン)」「NGゾーン」とね。
経営者、管理者の1つの役目として、「グレーゾーンをどこまでOKゾーンに取り込むか?」というものがある。
それを一番手っ取り早く行うには、「組織と個人の基準を合わせること」なんだそうだ。
はてさて、そううまく行くのかな?

財務会計論

資本と利益の概念ってことで、経済学的観点と会計的観点の双方から考える。

主観利潤、実現可能利潤などは経済学的観点からの分析。
減価償却で考えるのが会計的観点からの分析。

どうもFe+は減価償却の意味が分かりそうで分からないんだよね。
今まで学んだ事や、仕事場での話や体験から考えると、基本的には、「買った物の支払い代金を分割で買ったことにする」って事でしょ?

例えばビルを10億円で買ったら、その年に「10億円遣いました」じゃなくって、「10年で1億円づつ出して買いました」って事を言っているのと同じだよね?
ビルを10億円で買って、商売をし続けると当然、ビルのおかげで売り上げが出る。
それは「10億円のビル」のおかげで儲けが出ると。
そして10億円のビルは、月日が経過すればボロくなって行くからビルの価値は下がる。
でもビルがボロくなっても儲けは出る。
って所はOKなんだよね。

問題は、「減耗分を債権に投資する」っていう部分。
意味分からんのよ。ここが。
聞くか・・・教授に。
posted at 2006/04/27 9:27:55
lastupdate at 2006/04/27 9:29:40
修正
comments (0) ||
 
映画「Vフォー・ヴェンデッタ」鑑賞

Vフォー・ヴェンデッタ

楠田絵里子仮面の男。体制に対する復讐とテロを企てる、ダークヒーロ。
Vフォー・ヴェンデッタを観てきました。

脚本は、マトリックスのアンディ&ラリー・ウォシャウスキー。
イヴィー・ハモンドを演じるのは、ナタリー・ポートマンちゃん。
そして、楠田絵里子仮面の男"V"は、マトリックスのエージェントスミスを演じたヒューゴ・ウィービングです。

内容的には面白かったですよ。

イヴィーと、"V"の暗い過去。
特に"V"のエピソードは、ベタなアメコミのダークヒーロそのもの。

アメリカ合衆国さえ植民地と化した第三次大戦後の世界。そこに描き出されるのは、容赦なきもうひとつの未来。移住者、異教徒、同性愛者、活動家、不治の病人などあらゆる異端者が排除され、外出禁止令、検問、そして監視カメラが守りを固めるファシズム国家となったイギリスに出現した仮面の男、コードネーム「V」。

Vフォー・ヴェンデッタ

テロという許されない行為も、相手が「独裁国家」ならある程度許されちゃうって感じなんですかね?
"V"は、国民を喚起するために、国家建造物の破壊や、電波ジャックなどを行います。
最初は自らの復讐のためだけに動いていたのに、やがてイヴィーに出会い、彼女に惹かれつつ、次第に崇高な感情を持って、独裁国家に挑んで行きます。
ラストシーンでは、テロリストとしては甘美なほど崇高な最期を遂げます。

この映画の面白い点は、"V"の立場と、それを取り囲む人々の心理描写です。
最初は憎き国家反逆の徒を逮捕しようと奔走する刑事すらも、やがては"V"の行為を認めることに。
かくて"V"は、テロリストから、真の革命家に。

Vフォー・ヴェンデッタ

映像もスタイリッシュですし、ストーリ展開も緻密です。
あまり激しいアクションシーンはなく、落ち着いた雰囲気で展開するのですが、なぜか飽きることはありませんでした。
ミュージカルや舞台でもイケる口かなと。

そういう意味では、ちょっと「オペラ座の怪人」が入っていないとも言い切れない感じですね。
posted at 2006/04/25 13:26:46
lastupdate at 2006/09/17 21:40:15
修正
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