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某メーカ勤務の怪しい会社員。
40代に突入しても不惑の域に達しない。
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2005/11/05
春の雪
映画「春の雪」鑑賞
大正時代、貴族文化華やかし頃が舞台の「春の雪」観てきました。
三島由紀夫氏原作の本作。
主人公、清顕の屈折した愛は、いかにも三島氏の思考が反映された結果のようで、凡人には理解不能な感じがしました。
幼なじみで相思相愛の清顕と聡子。
お互い侯爵家(?)という名門に生まれつき、何不自由ない生活をしていますが、どこか父親に対して反発している清顕。
結婚までも家の都合で決められてしまい、いいなりになっている聡子。
平民には理解できない「門地に対する誇り」が逆説的に描かれて痛烈な皮肉になっているような感じを受けます。
それにしても、この物語で描きたかった事ってなんだろう?
と考えてみると、
「困難な愛」と「他人の持ち物を奪う背徳感からくる快感」についてなのでは?
としか思えないんです。
聡子は宮家との婚約が決まるまで、清顕に対する愛情を胸に抱きつつ、恋文を清顕に出し続けますが、清顕はそれを無視。
それなのに清顕は婚約が決まった後になってから、聡子への愛に気づき、密会を繰すよう要求します。
当然、聡子は清顕の事を愛していますから、それを了承。
・・・うーん、どうだろう?
しかも、清顕は最終的に聡子を妊娠させてしまい、宮家に嫁ぐ娘に手を出しただけではなく、収集がつかない事態へ進んでゆきます。
・・・うーん、いいのかそれで?
「二人の悲恋物語」という感じのキャッチが付いている本作ですが、どうもその部分に関してはかなり微妙な展開ですね。
とにかく、清顕の「身から出たさび」というか、何というか。
清顕が婚約が決まる前に「おら聡子と結婚したいんだべ」(訛りはありません。あしからず)と言えばいいだけだったんですよね。
チャンスを逃し、もう手の届かない場所に行ってしまったものを手に入れたい
という状況で人はどのようにして生きるのか?
これが作品のテーマである気がします。
やはり三島由紀夫氏の作品だけあって文学的ですなぁ。
大正時代、貴族文化華やかし頃が舞台の「春の雪」観てきました。
三島由紀夫氏原作の本作。
主人公、清顕の屈折した愛は、いかにも三島氏の思考が反映された結果のようで、凡人には理解不能な感じがしました。
幼なじみで相思相愛の清顕と聡子。
お互い侯爵家(?)という名門に生まれつき、何不自由ない生活をしていますが、どこか父親に対して反発している清顕。
結婚までも家の都合で決められてしまい、いいなりになっている聡子。
平民には理解できない「門地に対する誇り」が逆説的に描かれて痛烈な皮肉になっているような感じを受けます。
それにしても、この物語で描きたかった事ってなんだろう?
と考えてみると、
「困難な愛」と「他人の持ち物を奪う背徳感からくる快感」についてなのでは?
としか思えないんです。
聡子は宮家との婚約が決まるまで、清顕に対する愛情を胸に抱きつつ、恋文を清顕に出し続けますが、清顕はそれを無視。
それなのに清顕は婚約が決まった後になってから、聡子への愛に気づき、密会を繰すよう要求します。
当然、聡子は清顕の事を愛していますから、それを了承。
・・・うーん、どうだろう?
しかも、清顕は最終的に聡子を妊娠させてしまい、宮家に嫁ぐ娘に手を出しただけではなく、収集がつかない事態へ進んでゆきます。
・・・うーん、いいのかそれで?
「二人の悲恋物語」という感じのキャッチが付いている本作ですが、どうもその部分に関してはかなり微妙な展開ですね。
とにかく、清顕の「身から出たさび」というか、何というか。
清顕が婚約が決まる前に「おら聡子と結婚したいんだべ」(訛りはありません。あしからず)と言えばいいだけだったんですよね。
チャンスを逃し、もう手の届かない場所に行ってしまったものを手に入れたい
という状況で人はどのようにして生きるのか?
これが作品のテーマである気がします。
やはり三島由紀夫氏の作品だけあって文学的ですなぁ。
posted at 2005/11/06 13:06:30
lastupdate at 2006/08/03 0:47:24
【修正】
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やはり、華族の時代が、「斜陽」であることの、儚さのようなものが、若い二人を無意識に包んでいるように思えます。平安期の「雅」といったものが、もう、風前のともしびになっています。