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hHandleName = Fe+;
某メーカ勤務の怪しい会社員。
40代に突入しても不惑の域に達しない。
某メーカ勤務の怪しい会社員。
40代に突入しても不惑の域に達しない。
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2004/11/30
標準化とマニュアル化
[Fe+の外部記憶]
業務を円滑に高品質で進めていくに際して必要となる「マニュアル化」や「標準化」ってやつですが、
Fe+が体験したエピソードをお話ししましょう。
とあるコンビニでの話です。
Fe+はお茶(へルシア緑茶)とウィダーインゼリーを買おうと思いレジに向かいました。
金額は忘れてしまいましたが、支払い金額の端数が4円だったと思います。
おつりがちょうど1円になるようXX5円を払います。
店員「いらっしゃいませ〜」(元気だが相手を見ない)
店員「XX4円になります〜」(元気)
店員「XX5円のお預かりです〜」(ひたすら元気)
店員「1円のお返しです〜
お確かめ下さい〜
」
・・・・ん?
んん?
一円をこれ以上どのように確かめろと?
それとも、この一円が、
偽造通貨であることを確認してほしいとでも要求しているのですかっ(泣)
・・・とまあこんなエピソードがありました。
何を言いたいかというと、
マニュアル化、標準化の弊害
を訴えたかっただけなのですけどね。
つまり「お確かめ下さい」は、本来コンビニのマニュアルとしては「おつりが複数の硬貨、紙幣で構成されているときに、顧客にその数が正しいかどうかを確認するよう促す」
っていう行為の標準化なのではと思うのです。(まあ予想ですが)
よって、おつりが「1円」や「5円」であれば、
ことさら確認を促す必要はない訳ですから、コンビニの店員さんの状況判断で「お確かめ下さい」と言うか、言わないかを決めればいいだけなのですが。
おつり渡す=「お確かめ下さい」と言う
という公式が、本来の主旨から逸脱しても適用されてしまう。
標準やマニュアルに従うことにより、従う人の思考力を奪ってしまっているという点が問題なのです。
ちょっと極端な例なのかもしれませんが、コンビニ、ファミリーレストラン、ファーストフード店などでも顕著にこの現象を見ることが出来ます。
接客マニュアルによって「それなりの接客」は実現できていますが、
画一的な暖かみの押しつけ
状態になっちゃっています。
「いらっしゃいませ〜」(顔が笑っていない)
「ありがとうございました〜」(全然ありがたそうじゃない)
「XXXの方でよろしいでしょうか」(めんどくさそう)
「XXXのおつりです・・・あした〜」(小さい声で、ダルそうに言うのがポイント)
見事なまでの、言葉と感情の乖離現象。
こんな接客、
ちっとも嬉しくありませんよ。(特にコン○ニのアルバイト接客マニュアル担当の方)
この要因は先ほどのマニュアル化、標準化の弊害だとFe+は思うのです。
つまりマニュアルや標準を教育、徹底しても、
そのマニュアルが生まれた背景(なぜ)や、必要性(どうして)を教育しなければ、全く意味がないと思うのです。
まさに「仏造って魂入れず」って感じですかね?
と、ここまで来て前回チラと紹介した「デ・まる子」ちゃんの本「ピーポウェア〜」の本に書いてあった事をあわせて紹介しましょう。
デ・まる子ちゃんは、
「プログラマってさ、キャラ濃いんだよ。だからさ〜、あんまり強制したり、ルールでがんじがらめにするとさ〜、ヘソ曲げてきちんと仕事しないんだよ。」(プカ〜)←たばこをふかす(勝手な想像ですが)
そして、
「んでもってよ、自分で決めた事は一生懸命守ろうとするんだよ。しかもスゲーレベルが高いんだぜ、ガッハッハッ」(またまた勝手な想像)
と言っています(口調は勝手な想像ですが)
んで、ここからはFe+の見解。
標準化やマニュアル化の効果を考えると、
「どんな人でも、それなりの成果を出せる」
「やり方を決めることで、成果のばらつきを抑える」
という品質の均一化。
実はここがミソです。
「均一化」というからには、
「良くないものはそこそこに、良いものもそこそこに」
という結果を生む温床になりかねません。
理想は、
「良くないものはそこそこに、良いものはもっと良く」
なんですけどね。
では標準化やマニュアル化の弊害をどうすれば少しでも軽減できるだろうかと考えてみました。
1.カオスから安定へ
2.創造性や個性を阻害しない
カオスから安定へ(標準は自分達でカスタマイズ)
先ほどのデ・まる子ちゃんのトークにもあったように、人は「自分の決めたルールは一生懸命守ろうとする」のですが「他人の決めたルールは理解出来なければ従わない」という傾向にあります。
つまり、標準化やマニュアル化をする際に、
現場で標準、マニュアルのカスタマイズを行う余地をあらかじめ残し、運用する人全員が納得するまでカオス状態を意図的に作り出します。
標準やマニュアルが理解できなければあえて運用せず、自分達が決めたルールや方法を実践し、得た経験や知識を標準やマニュアルにフィードバックします。
そうすると自分自身の経験や知識を反映した標準やマニュアルですので必要性や背景は少なくとも押しつけられた標準、マニュアルよりは理解が深いはずです。
創造性や個性を阻害しない(標準もマニュアルも変化する)
そのまんまですね。
状況は常に変化します。
標準やマニュアルは時間の経過と共に陳腐化したり、形骸化する可能性はあります。
例えば、
社員A「このマニュアルの○○って何の意味があるんですか?」
社員B「ん〜、知らない〜」
社員C「ああ、それ? 昔からあるけどね〜、意味はみんな知らないんだよ。」
社員A「そうなんですか。手間がかかる分メリットを感じないんでこの○○って止めにして、××という方法でやるっていうのはどうでしょうか?」
社員D「いや、意味がないなら放っておけば? どうせみんな何も考えずに処理しているだけだからさ、変更するのも面倒だし・・・」
社員B「そうそう、今のままでいいじゃん、面倒だけど」
社員C「そうだね、もしかしたら何か意味があったかもしれないし・・・」
社員A「・・・・・」
という感じが、
一番やばいです。
標準化とマニュアル化は、思考力を奪う危険性があることを注意しなければなりません。
こんな現場に出くわしたら、
バーサク状態になりそうです(爆)
(標準化とマニュアル化の)
ご利用は計画的にね。
Fe+が体験したエピソードをお話ししましょう。
とあるコンビニでの話です。
Fe+はお茶(へルシア緑茶)とウィダーインゼリーを買おうと思いレジに向かいました。
金額は忘れてしまいましたが、支払い金額の端数が4円だったと思います。
おつりがちょうど1円になるようXX5円を払います。
店員「いらっしゃいませ〜」(元気だが相手を見ない)
店員「XX4円になります〜」(元気)
店員「XX5円のお預かりです〜」(ひたすら元気)
店員「1円のお返しです〜
お確かめ下さい〜
」
・・・・ん?
んん?
一円をこれ以上どのように確かめろと?
それとも、この一円が、
偽造通貨であることを確認してほしいとでも要求しているのですかっ(泣)
・・・とまあこんなエピソードがありました。
何を言いたいかというと、
マニュアル化、標準化の弊害
を訴えたかっただけなのですけどね。
つまり「お確かめ下さい」は、本来コンビニのマニュアルとしては「おつりが複数の硬貨、紙幣で構成されているときに、顧客にその数が正しいかどうかを確認するよう促す」
っていう行為の標準化なのではと思うのです。(まあ予想ですが)
よって、おつりが「1円」や「5円」であれば、
ことさら確認を促す必要はない訳ですから、コンビニの店員さんの状況判断で「お確かめ下さい」と言うか、言わないかを決めればいいだけなのですが。
おつり渡す=「お確かめ下さい」と言う
という公式が、本来の主旨から逸脱しても適用されてしまう。
標準やマニュアルに従うことにより、従う人の思考力を奪ってしまっているという点が問題なのです。
ちょっと極端な例なのかもしれませんが、コンビニ、ファミリーレストラン、ファーストフード店などでも顕著にこの現象を見ることが出来ます。
接客マニュアルによって「それなりの接客」は実現できていますが、
画一的な暖かみの押しつけ
状態になっちゃっています。
「いらっしゃいませ〜」(顔が笑っていない)
「ありがとうございました〜」(全然ありがたそうじゃない)
「XXXの方でよろしいでしょうか」(めんどくさそう)
「XXXのおつりです・・・あした〜」(小さい声で、ダルそうに言うのがポイント)
見事なまでの、言葉と感情の乖離現象。
こんな接客、
ちっとも嬉しくありませんよ。(特にコン○ニのアルバイト接客マニュアル担当の方)
この要因は先ほどのマニュアル化、標準化の弊害だとFe+は思うのです。
つまりマニュアルや標準を教育、徹底しても、
そのマニュアルが生まれた背景(なぜ)や、必要性(どうして)を教育しなければ、全く意味がないと思うのです。
まさに「仏造って魂入れず」って感じですかね?
と、ここまで来て前回チラと紹介した「デ・まる子」ちゃんの本「ピーポウェア〜」の本に書いてあった事をあわせて紹介しましょう。
デ・まる子ちゃんは、
「プログラマってさ、キャラ濃いんだよ。だからさ〜、あんまり強制したり、ルールでがんじがらめにするとさ〜、ヘソ曲げてきちんと仕事しないんだよ。」(プカ〜)←たばこをふかす(勝手な想像ですが)
そして、
「んでもってよ、自分で決めた事は一生懸命守ろうとするんだよ。しかもスゲーレベルが高いんだぜ、ガッハッハッ」(またまた勝手な想像)
と言っています(口調は勝手な想像ですが)
んで、ここからはFe+の見解。
標準化やマニュアル化の効果を考えると、
「どんな人でも、それなりの成果を出せる」
「やり方を決めることで、成果のばらつきを抑える」
という品質の均一化。
実はここがミソです。
「均一化」というからには、
「良くないものはそこそこに、良いものもそこそこに」
という結果を生む温床になりかねません。
理想は、
「良くないものはそこそこに、良いものはもっと良く」
なんですけどね。
では標準化やマニュアル化の弊害をどうすれば少しでも軽減できるだろうかと考えてみました。
1.カオスから安定へ
2.創造性や個性を阻害しない
カオスから安定へ(標準は自分達でカスタマイズ)
先ほどのデ・まる子ちゃんのトークにもあったように、人は「自分の決めたルールは一生懸命守ろうとする」のですが「他人の決めたルールは理解出来なければ従わない」という傾向にあります。
つまり、標準化やマニュアル化をする際に、
現場で標準、マニュアルのカスタマイズを行う余地をあらかじめ残し、運用する人全員が納得するまでカオス状態を意図的に作り出します。
標準やマニュアルが理解できなければあえて運用せず、自分達が決めたルールや方法を実践し、得た経験や知識を標準やマニュアルにフィードバックします。
そうすると自分自身の経験や知識を反映した標準やマニュアルですので必要性や背景は少なくとも押しつけられた標準、マニュアルよりは理解が深いはずです。
創造性や個性を阻害しない(標準もマニュアルも変化する)
そのまんまですね。
状況は常に変化します。
標準やマニュアルは時間の経過と共に陳腐化したり、形骸化する可能性はあります。
例えば、
社員A「このマニュアルの○○って何の意味があるんですか?」
社員B「ん〜、知らない〜」
社員C「ああ、それ? 昔からあるけどね〜、意味はみんな知らないんだよ。」
社員A「そうなんですか。手間がかかる分メリットを感じないんでこの○○って止めにして、××という方法でやるっていうのはどうでしょうか?」
社員D「いや、意味がないなら放っておけば? どうせみんな何も考えずに処理しているだけだからさ、変更するのも面倒だし・・・」
社員B「そうそう、今のままでいいじゃん、面倒だけど」
社員C「そうだね、もしかしたら何か意味があったかもしれないし・・・」
社員A「・・・・・」
という感じが、
一番やばいです。
標準化とマニュアル化は、思考力を奪う危険性があることを注意しなければなりません。
こんな現場に出くわしたら、
バーサク状態になりそうです(爆)
(標準化とマニュアル化の)
ご利用は計画的にね。
posted at 2004/11/30 13:50:36
lastupdate at 2004/12/01 3:42:00
【修正】
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